【ディール急襲】番外編2-7 ☆最終話

番外編2 「ザイのやさぐれ恋模様」7 ☆最終話
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 さわり、と夜風に黒梢がそよいだ。
 橙色の外灯が、柔らかな光を投げている。
 ザイは唖然と立っていた。思ってもみない言葉だった。あまりに想定外の出来事で、とっさに身の処し方の判断がつかない。
 あふれる涙を両手でぬぐい、ラナはぽろぽろ泣いている。
 今にして思い至った。街角に隠れた彼女の目には、じゃれついたリナがどう見えたのか。彼女がずっと怒っていた理由に。
 その後の一連の出来事を思えば、それも当然というものだった。通りでリナと別れたあの後、オフィーリアを捜しまわった。それは首長の指示ではあるが、彼女がそれを知る由もない。そして、北門通りで事故に遭遇、オフィーリアの部屋にまで押しかけた。その上、何を勘違いしたのか、オフィーリアがリナを連れてきた。この夜更けの来訪を同じ部屋で聞いたであろうラナの目の前を素通りして、、、、、、、、、、、、
 彼女に説明すべきだった。早く誤解を解かねばならない──。ザイはのろのろ片手をあげ、ためらい、再び引っこめた。意識が弾けてしまったように、頭がまるで働かない。そもそも、あまり立ち入ったことは、部外者には話せない。だが、首長の指示を伏せるとなれば、都合よく事故現場に居合わせた、その説明がつかなくなる──。動揺しきりで、意味なく視線をめぐらせる。
 ふと、それを見咎めた。夜陰に素早くまぎれこむ影──。
 狼狽した意識が、不意に冴えた。
 肩を震わせるしなやかな髪に、ザイは静かに手の平を置く。つかの間じっと動きを止め、星降る夜空をゆっくりと仰いだ。
 夏の、のどかな夜だった。
 濃紺の海に、無数の星がまたたいている。木々の黒梢は動きを止め、歩道の等間隔の外灯が、二人が立った周辺だけを、ほのかに柔らかく照らしている。
 夏の夜空を見あげたままで、ザイは浅く息をついた。
「──困りましたねえ」
 ほんのわずか、ラナが肩を震わせた。
「迷惑、ですか?」
 戸惑った様子で、おどおどと仰ぐ。「迷惑ですか? わたしの気持ちは」
 ザイは夜空から目を戻した。凝視するラナを優しく見つめる。
惚れた女が、、、、、、いましてね」
 呆然とラナは立ち尽くした。
 見開いた瞳を、やっとのことで、ひとつまたたく。「……そう、ですか。やっぱりザイさんは、リナのことを……あ、それとも、オフィーリア?」
「どちらでもありませんよ」
「その方は、わたしの知っている人ですか?」
「──よしましょう、そういうのは。少し障りがありますから」
 ラナが唇を噛んで目をそらした。傷つき、うつむいた横顔が、震える声で小さくつぶやく。「……でも、それなら、どうして」
 思い余った様子で顔をあげた。
「どうして、わたしに、あんなことを!」
社交辞令、、、、って奴ですよ」
 ザイは弱った顔で頭を掻いた。
「知ってるでしょ、ラナさんも。誰にでも言うんですよ、いつも俺は、ああいうことを」
 ラナが唇を震わせ、眉根を寄せた。「──嘘よ」
「本当スよ」
 嘘など何も、ついていない。
 今の一言を除いては。
 頬の涙を両手でぬぐって、ラナが気まずげに目をそらした。「ご、ごめんなさい、後をつけるような真似をして。でも、わたし、こういうのは初めてで。どうしていいのか、わからなくて。でも、わたしは、あなただから……」
「それは相手が悪かったスね。俺は心にもないこと、、、、、、、が平気で言える、いい加減な男なんスよ」
 パン──と平手を張る音が、夜の歩道にとどろいた。
 振り抜いた指先を震わせて、ラナはザイを睨めつける。
「あなたって人は──」
 のろのろと手を下ろし、うつむいてしゃくりあげた。
「……馬鹿みたい。わたし、ひとりで馬鹿みたい。ひとりで舞いあがって、やったこともないお菓子まで作って」
 頬をはらはら涙が伝う。「わたしは、本気でした……」
「……わかっていますよ」
「ふざけないで!」
 ラナが顔をゆがめて踵を返した。
「ザイさんなんて大嫌いっ!」
 外灯ともる遊歩道に、ゆれる髪が遠ざかった。
 暗い夜道に立ったまま、ザイは無言で見送った。小柄なその背が裏門に消えたのを見届けて、街への曲がり角へと足を踏み出す。
「なーにしてんの?」
 暗がりから、声がした。
 ザイは眉をひそめて舌打ちする。「別に、何もしちゃいねえよ」
 編みあげの革靴が、街路樹の陰から歩み出た。
 ぶらぶら気負いなく近付いて、セレスタンは裏門を振りかえる。「あらら。嫌われちゃったみたいじゃないの」
「見てたんじゃねえかよ」
 ザイは苦虫かみつぶす。
「ラナちゃんだっけ? 結構きついのね、大人しい顔して。つか」
 彼女が駆け込んだ裏門を、セレスタンは顎でさす。「何したの、お前」
「別に」
「迫って反撃食らったとか? だめだろ、関係者に手ぇ出しちまっちゃ」
 相手の追及を舌打ちで打ち切り、ザイは肩で振りむいた。「急用か」
 まあね、とセレスタンは、軽くおどけて肩をすくめる。
「お前のお迎え」
「──なにを言ってやがる。用事はなんだよ」
 セレスタンはにんまり笑った。「飯食いに行かない?」
「腹なんか減ってねえよ」
「いつか食うなら、今でも同じ。だろ?」
 ザイは舌打ちで踏み出した。
 月下の人けない遊歩道を、肩を並べて、ぶらぶら歩く。薄暗い往く手を眺めつつ、ザイは憮然と口をひらいた。「なんだよ。さっさと本題に入れよ」
 ぶらぶら足を運びつつ、セレスタンは横顔で応える。
「いや、ジョエルがお前を心配しててさ。もちろん、俺も」
 ザイはげんなり嘆息した。「また心にもないことを。今度はなにを企んでいやがる」
「本当だって。だから迎えに来たんだろ?」
「油断がならねえからな、このハゲは」
「らしくねえだろ、お前が的を外すなんてよ」
 虚をつかれ、一瞬つまる。
 ザイは苛立って舌打ちした。「俺がいつ──」
「逃がしたろ」
 そぞろ歩きの横顔で、ちら、とセレスタンは一瞥をくれた。
「ウォードをさ。今さら仏心でもないんだろ? なんで、そんなに気が散ってんの」
 領邸の高い塀の向こうで、木々が黒々とそびえていた。
 外灯に照らされ落ちかかる影は、どれもひっそりと停止している。夜の遊歩道に、人影はない。ほのかに白い舗装路が、闇に続いているだけだ。
 ザイは小さく嘆息した。
 怪訝にセレスタンが振りかえる。「なに」
「──因果な商売だと思ってよ」
「へえ。すっげえことに気づいたじゃん」
 セレスタンは横顔で笑った。「どうしたの、今さら。刺客でも出た?」
 ザイは苦笑いして首を振った。
「初めて、そいつを実感した。たく。笑っちまうぜ。お前の影におたついたってんだから。今、角の街路樹、横切ったろお前」
「あれ? なんだ。気づいてた?」
 セレスタンは腰の隠しから煙草を取り出し、一本くわえて点火する。「ま、たとえ誰が仕掛けても、お前なら楽勝だろ? それとも」
 冷やかしを含んだ一瞥をくれる。「あのお姉さん背負ってて動けなかった、とか言わねえよな?」
「そういう所、なんだよな。俺たちがいるのは」
 夏の夜空を、ザイは見あげる。「だったら、せめて──」
 すっ、と一筋、星が流れた。
 果てしない漆黒の闇の中、数多の星がまたたいている。頭上を覆う夜の天蓋。
 セレスタンは無言で煙草をふかし、夜空に吸い込まれた先を促す。「せめて?」
「──飲みにでも行くか」
 セレスタンがくわえ煙草で振り向いた。「なんだよ急に。メシどーすんの」
「記念日なんだよ。今日は、俺の」
 セレスタンは、へえ、と灰を落とす。
 街への道を戻りつつ、ザイは薄暗い往く手をながめた。
 あの時、急に恐くなった。
 あの闇に潜んでいたのが、もしも、セレスタンではなかったら。自分なら楽にかわせる矛先が、もしも、彼女に向かったら──。
 手に、人を殺めた時の、生々しい感覚がよみがえった。
 振り抜いた刃の向こうで、血にまみれてくずおれる肉塊。その身に起きたことと同じことが、彼女の身に起こったら──。
 これまでどれだけ殺めたか、今となっては思い出せない。名が知れた兵は難儀なもので、自分は相手を知らずとも、兵らは自分を知っている。戦地で敵兵を殺めるのは、傭兵には当然の仕事だが、死んだ兵の縁者にすれば、それは当然の理屈ではない。報復しようとする者は、時も場所も選ばない。
 一たび暴力でやり込めた者は、更なる暴力に備えねばならない。恨みの連鎖は途切れることなく、果てない螺旋に一度はまれぱ、降りることは許されない。
 夜の街がつむぎ出す遠いざわめきを聞きながら、ザイは静かに目を閉じる。だったら、せめて大事なものは、他の誰より大事な者なら、誰より遠くに置いておきたい。
 ふーん、とセレスタンが横目で見た。
「へえ、記念日。お前がね」
 そう、ここで区切りをつけねばならない。深みにはまるその前に。
 彼女の生活圏は侵せない──出した結論は、それだった。
 火種を、ここに持ち込むことはできない。あくびまじりの甘い警備に守られた、塀の中の平和な世界に。
 街の灯かりを眺めやり、セレスタンは、ふぅ、と紫煙を吐いた。
「いいよ、了解。つきあうよ。なら、何はともあれ乾杯か」
 胸に走った痛みをこらえ、ザイはくすりと小さく微笑った。
「──そうだな。乾杯するか」
 ほろ苦い失恋記念日に。
 
 

 ザイの やさぐれ恋模様
 
 
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